椅子取りゲーム


「納得いかねえんだよ!」
 荒浜武史が立ち上がり叫ぶと同時に、ガタンと椅子が脚踏みをした。
 武史を除く三年C組の生徒、三十五名は皆、彼に注目する。地団駄のようだなと思いつつ、教壇の前に立つ、クラス委員、静井長介はあからさまに顔をしかめた。
「俺はこの班じゃ嫌だ」
 武史が続ける。クラスの中にざわめきが広がった。
「大体、あみだくじで決めるなんておかしいだろ。中学最後の行事、修学旅行の班なんだぜ? もっとさあ、みんなの意見を取り入れたほうがいいんじゃねえか?」
「それで決まらなかったから、くじになったんじゃないか……」
 長介はうんざりした様子で、小さく呟く。当然その声は、教室に満ちている喧騒にかき消されて、誰の耳にも入らない。
「困ったわね、委員長」
 彼の隣から、どこか面白がるような口調で声をかけるのは、同じくクラス委員で、書記を兼任する田端咲。
「先生は職員室に帰っちゃったし。先生達って、私たちの牽引力がどの位あると思ってるのかしら」
 長介も思っていた。武史のような生徒が騒げば、「クラス委員」という肩書きなど大して役に立たないものだと。
「それで、どうやって収拾するつもり?」
「こっちが聞きたいところだよ……」
 長介は黒板を振り返る。右端に「修学旅行 班割り」と書かれている。その右の「決定方法」の項には、元は文字だった白い粉の海で、「・あみだくじ」の文字が所在なく浮いていた。
「じゃあ、私に一つ提案があるんだけど」
「それなら、先にそう言ってくれればよかったじゃん」
「静井くん、委員長でしょ。何で最初から人任せなの?」
 長介は言葉に詰まった。
「じゃあ早速みんなに伝えるわ。委員長、まずは静かにさせて」
 一向に、喧騒が止む気配はない。これでは、何を提案しようと聞き取ることは難しかった。
「え、俺?」
「そんなことまで私にやらせるの? さ、はやく」
 長介が声をかけ、クラスを静めようと試みる。四回目でようやく声がまばらになった。咲は彼と位置を入れ替わり、教壇の前に立つ。
「修学旅行の班決めだけど、今、意見があったので――」
 一息おいて、咲は告げる。
「椅子取りゲームで決めようと思います」
 総員、沈黙。
 しばらくして、隣の教室から「ありがとうございました」と号令が聞こえて、授業終了のチャイムが鳴った。それを合図にして、咲は話し出す。
「最後まで勝ち残った者が、修学旅行の班を自由に編成できる。それ以外の人たちは、その決定に黙って従う。簡単でしょう?」
 彼女は、武史に目線を向ける。
「どう? 荒浜くん」
 武史は、急に名指されて我に返った。そしてすぐに、意地の悪そうな笑みを浮かべて、言う。
「すげえいい話だな。だけど田端、俺は椅子取りゲームにはちょいと自信があるんだ。こん中なら、楽勝で俺が一位だぜ?」
「あなたが、意見を一番に主張したのは素晴らしいことだもの。アドバンテージがあって然るべきでしょう?」
 それを聞いて気をよくした武史は、よっしゃあ、やってやる、と一人気合いの雄叫びを上げる。
 その一方、武史以外の生徒はどこか不安そうにおしゃべりを始めていた。
 咲は、今度はクラス全体をぐるりと見回して言う。
「もし荒浜くんが勝っても、自分に関わる所以外は変更しないかもしれないからね。そんなに心配しないで、みんなで楽しく決めましょう」
 ぼそぼそとしていた話し声が少しずつ色づき、やがては、いつもの休み時間のような雰囲気を醸し出していた。
「おい、大丈夫なのかよこれ? 本当にあいつが勝ったら、好き勝手やらせていいのか?」
 呆気に取られてその様子を傍観していた長介が、小さく咲に声をかける。
「大丈夫よ。彼は絶対に勝てないから」
「何でだよ」
 武史は、三年C組の中で最も体格がいい。しかも自信があると言う限り、素人でないことは明白だった。
「椅子取りゲームには、曲を止めたり再開させたりする係が必要。私がその係になって、委員長が確実に座れるように曲をコントロールすればいい」
「え、俺もやるの?」
 咲は、何を今更、といった表情で一瞥して続ける。
「また、二人が一つの椅子に同時に座ってしまった場合。もし委員長がその状況になっても、ジャンケンではなく私が判定すれば、あなたは絶対に座れる。そうして順調に委員長が勝ち上がり、最後に『先ほどの班で決定します』と言えば一件落着。これならみんな納得よ」
 長介は顔を引きつらせてのけぞる。
「うわ……黒すぎるよオマエ……」
「そう? どうせ班が変わらないなら、ただのレクリエーションと同じでしょ。いい思い出作りになりそうじゃない」
 咲は、長介に不敵に笑いかける。
「別に、無理に出ろとは言わないけど。でも、いいの? せっかく、あみだくじの結果を操作して、意中のあの子と同じ班になったんでしょ?」
「見てたのかよ……!」
「あ、やっぱりわざとだったの。委員長が集計なんかで間違えるなんて、珍しいとは思ったけど」
「……」
 墓穴を掘って、さらに土をかぶせられた状態の長介は、言葉を継げない。
「あの子、可愛くて性格もいいから人気あるものね。荒浜くんの班に引き抜かれることも考えられそうだわ」
「……わかった、やるから。この場を丸く収めるためには必要だよな」
 長介が答えるも、咲の口は止まらない。
「『あの子』って呼ぶのも失礼よね。ええと、出席番号十七の、氏名――」
 その時、教室の黒板側の戸が開く。
「おまえら何騒いでんだ? さっさと給食取りに行けよー」
 担任の先生だった。

* * *

「ルールはご存知の通り、BGMがかかったら椅子の周りを回る。時計回りにしましょうか。そしてBGMが止まったら座る。あ、あと審判の判定に従わない場合は失格になるから」
 咲は手短に説明を終える。
 昼休みの十分前。三年C組は、いつも以上のチームワークを発揮し、給食~歯磨きまでの時間を大幅に短縮することに成功していた。
 教室の後ろに寄せられた机。外側を向いて、輪状に並べられた椅子。咲の手元にはCDラジカセ。舞台はすでに整えられていた。
 そして、生徒たちが椅子の周りを囲む。
「選手三十五名に対し、椅子が三十脚。まずは五人が脱落します」
 咲が、分かり切ったことを言う。緊張感を出す演出だろうかと、長介はふと思った。
「では、三年C組・修学旅行の班割り決定戦――スタート!」
 BGMは、子犬のマーチだった。

* * *

「今のは……わずかに委員長の方が速かったわ。富士崎くん、残念」
「あー、ダメだったかあ……あいてて、腰の骨が……。
 静井、本気で当たりにくるんだからなあ」
 富士崎と呼ばれた男子生徒は、人の良さそうな笑顏を見せた。彼が腰を押さえてひょこひょことギャラリーの方へ戻っていくと、なに負けてんだ富士崎ー、と野次が飛び、教室に笑いの渦が巻き起こる。
 その中で、長介は息を吐く。
「危なかった……」
 開始から二十五分後、戦いは佳境を迎えていた。
 残っている選手は、静井長介、荒浜武史の二名。決勝戦である。咲の計画通りの展開になったのだ。
「どうしたよ静井、いつになく真剣じゃねえか」
 武史が、長介に話しかける。
「俺はいつでも真剣だけど」
「いくら真剣でも、おまえが残るとは思ってなかったよ。珍しいこともあるもんだ」
 ギャラリーの一人が進み出て、二脚ある椅子の一つを取り去る。
「そういうことは、ここで勝ってから言え」
 そう返しつつも、長介は勝利を確信していた。咲の計画は滞りなく進んでいる。それは、事が長介の思惑通りに進んでいることと同義であった。
 咲が開始の声をかけ、BGMが途中から再開する。いくつか曲を経て、今は、ドレミの歌(主旋律のみ)にシフトしていた。その、中学生にしては幼稚な曲に最初は皆が苦笑していたが、これが以外と侮れるものではなかった。シンプルで、ゆとりのある曲の方が、途切れた時に反応しづらいのだ。
 長介は、武史の背後にぴったりくっついて椅子の周回を始める。それに気づいた武史は舌打ちを一つ。
 この戦法は、平均的な体格の長介でも、周りに押しのけられることを防止できた。
 しかし、ここで彼はあることに気づく。残った一脚の椅子は今までと同じく、背もたれ付きのものだ。BGMが止まったときに背もたれ側にいた者は、為す術がない。
 それなら、武史とちょうど対極の位置で回ったほうが、絶対に割り込まれることなく圧勝することができる。どうせ、BGMは咲が止めてくれるのだから。
 そう思って、長介は武史の背後から離れる。武史はしばらく怪しむように長介の顔を見ていたが、それはすぐに睨みつける眼光に変わる。対する長介は、それに取り合おうともせず、薄ら笑いさえ浮かべていた。
 早歩きほどの歩調で、一脚の椅子を周回する二人。その異様な雰囲気に呑まれてか、観衆もただ見守るのみである。
 一方、咲は、曲の展開を意識しながら、止めるタイミングを計っていた。
 選手二人は、対極の位置で周回している。座る際には、互いに割り込むことは不可能だ。この勝負の不確定要素は限りなく排除された。今や、このゲームの明暗は、彼女の右の人差し指にかかっているのというのが、まぎれもない真実である。
 だから、彼女は計画していた通り、勝利の女神さえ超越したその指で、一時停止のボタンを一息に押下する。
 長介が、背もたれの側に来た瞬間に。
 直後、ガタンと椅子が足踏みをした。
 武史は両腕両足を空中に浮かせたまま、尻だけで猛然と椅子に座っていた。対する長介は、その反対側で直立し、何がなにやら分からないという顔をしている。
 しばし、時間が流れる。
 突然、武史は立ち上がり、ガッツポーズをとって勝ちどきを上げた。
 それに続いて、観衆から拍手が送られ始める。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
 語尾を叩きつけるように言ったのは長介である。拍手は徐々に薄れて、やがては消えた。
「おい静井、何を待つんだよ。完璧に俺の勝ちじゃねえか。なんか文句あんのか?」
 武史の言葉に、長介は反論できない。彼は不意に咲の方を振り返って、睨みつけた。
「……くそっ、裏切ったな!」
 咲は表情を変えず、小首をかしげる。
「裏切り? 私が? 思い当たる節が無いのだけど……あなたは私に何を期待していたのか、詳しく聞かせてもらえないかしら」
 椅子取りゲームの八百長を補助させ、優勝させてもらうつもりだった……などと、クラス全員の前で言えるはずもなく。彼は唇を噛んでうつむいた。
 長介から流れる、ただならぬ雰囲気を察したのか、武史は戸惑いつつも尋ねる。
「どうしたんだよ。おまえ、班決めとかあんまり気にしない方じゃなかったか?」
「勝手に決めるな! 俺にだって、自分の希望くらいある!」
 いきなり激昂した長介に武史は一瞬ひるむが、すぐに怒鳴り返す。
「んなもん俺にもあるんだよ!」
 二人は再び、睨み合う。
「……俺だって、仲いいやつと同じ班がよかったよ……」
 しばらくして、観衆の中からぽつりと上がった、誰かの呟き。それに便乗して、私も、僕もと、同じような声が上がる。
 武史は、怒りを抑えて絞り出すような声で言う。
「なんだ。結局、誰だって自分の思い通りにしたいんじゃねえか。おまえは特別じゃないってことだ」
「……だったらなんだ? 椅子取りゲームで強いやつが、自分の希望を叶えられるのか? みんな同じ思いでいるんだったら、どうして俺が我慢しなくちゃいけないんだ! こんな結末、間違ってる!」
 長介は、なおも興奮に任せて早口にまくし立てた。それに対して再び言い返そうと身構える武史を、凛とした声が制した。
「そこまで」
 視線が、黒板の前に立つ咲へと一斉に集まる。ざわつき始めていた観衆も、水を打ったように静まり返った。
咲は、長介の前に歩み寄る。そして、人差し指を彼の鼻先に突きつけ、宣言した。
「静井長介君、失格」
 その言葉に、長介はまた、思考が停止した状態に逆戻りさせられる。
「……は?」
「言ったでしょう。『審判の判定に従わない場合は失格』って」
 その言葉に、長介だけでなく、武史も、観衆も、全員が呆気に取られていた。ゲームの開始時に確認したルールを破ったという指摘。これに異を唱える者は現れない。咲は続ける。
「たとえ、決める方法が椅子取りゲームじゃなかったとしてもね、」
 咲は一息おいて、いっそう鋭い言葉を繰り出す。
「絶対に自分の思い通りになる、絶対に自分は我慢しない。
そう考えているような人間は、そもそも班決めに参加する資格がないという事よ」
 その言葉に秘められた圧力のためか、とうとう、長介は床にくずおれてしまった。咲は、上げていた右腕を下ろす。
「選手何名に対し、椅子が何脚……どうして私が毎回そう言ったのか、わかる?」
 長介は答えない。それを見越していたかのように、咲はすぐに言葉を継いだ。
「『椅子は全員分ない』ということよ。それなら、自分の希望がかなえられない――自分が弾き出される可能性だってある。
 荒浜くんは、そんな事は当然、承知の上だったでしょう?」
「えっ……そ、そりゃまあ、そうだな」
 武史は急に話を向けられ、歯切れ良く返す事ができない。言ってから、彼はばつが悪そうに、あさっての方向を見た。
「ほら。ここにいるみんなは、椅子から弾き出されること――つまり、自分の希望を我慢することができた。できないのは、委員長。あなただけ」
 長介は深く俯いた。咲はそんな彼から視線を外し、武史のほうに向き直る。
 そして、先ほどに比べれば数段温かみのある声で告げる。
「さ、それじゃ優勝した荒浜くん。言った通り、好きに班を決めていいのよ。まず最初に、どうしたい?」
 武史はしばらくの間、えー、あー、と口ごもっていたが、突然うなずき、意を決したように言った。
「もう一回、みんなで話し合ってみようぜ」









(了)



Home Novel